困っていることには理由があります
Kくん 卒論動画

未来に家庭を築いた君に。

Kくんの卒論について・・・ 少し長い話になりますが、この卒論を聞いて頂くにあたり、皆さんに知っておいて頂きたいことについて書きます。小5から今までの、私が共に歩んできたKくんの姿を私視点でお伝えすることで、私が知らなかった、Kくんのこころの動きをより感じて頂けるかなと思います。そばにいる大人がどんな目を凝らしても、見ることのできない、「それぞれのこどもの生きている世界」でのこどもの思いがあります。周囲の大人が全てわかっている気になるのは、思い過ごしです。

これは小5ですーふにいらしたKくんが、2020年2月に、高校の先生からの要請で、未来の同級生に向けて書いたものです。Kくんは、中2から、発達性ディスレクシアの啓発を目的とした、講演活動に参加してくれていて、高校生になってからは、こどもたちのサポートスタッフとして、すーふで活躍してくれています。明るく楽しいKくんは、こどもたちの人気者です。この4月から大学生になりました。

小5でいらした時のKくんは、小5男子らしい明るさと素直さが前面に出た、とても元気でのんきな男の子でした。毎回、たくさんの話をしました。自分の読み書きの苦手さに、小学校にあがってすぐの早い時期から気づいていたこと、親や教師の言うようにたくさんやればできるようになると信じ、遊びに行く前に親から課される膨大な課題を必死でこなしていたこと、ここへ来たことで親がガミガミ言わなくなったことが本当に良かったと教えてくれました。念のため書いておきますが、Kくんのお母さんが、他のお母さんより「ガミガミ」だったわけではないと思います。「もっと頑張らせれば覚えられそうに見える」Kくんに、「何とか覚えて欲しい」「他のことが良くできるのだから、できるはず」と思うあまり、つい言い過ぎてしまう事は、どんな方にも身に覚えのあることでしょう。お母さん(お父さん)のそんな願いが、「どんなに頑張っても成果をあげられないこどもの気持ち」を知らず知らずのうちに追い詰めることがある、と知って下さい。こどもたちは言われなくても、誰よりも自分で感じているのです。

Kくんは、小学校でフリガナを振ってもらえるようになり、助かっていること、授業中は友だちとふざけてしまい怒られてしまうこと、書いているふりしていることを、先生が見逃してくれると助かること、学校はとても楽しい、週末打ち込んでいるサッカーも楽しい!など、色々教えてくれました。

すーふのディスレクシアの先輩の通う高校の附属中学校に通うことに、悩みに悩んだ結果決めたこと、どうして地元の中学校に一緒に行かないのかと友だちに聞かれ、思い切って自分の苦手を話したら、友だちが「そっか、がんばれよ」と言ってくれて嬉しかった、と話してくれたことなど、当時のKくんの様子を、昨日のことの様に思い出します。中学校に入ってからも平坦な日々ではありませんでした。理解があると思って進んだ中学校でしたが、実際は前例がなく支援を受けられず苦労しているKくんの状況をなんとか改善させたいと、私が何度やりとりしても、「特別な支援はできない」と言われ、「それでは、悩んで決めた意味がない!」と、権威の力を借りようと、某有名大学教授のところに、一緒に相談に行きました。学校は、すぐにその教授を校内研修に呼んでくださり、間もなく支援が実現したのでした。

このKくんの卒論には、私が一緒に歩んできた私の知っているKくんの姿と、私が知り得なかったKくんの心の中の世界が融合しており、心震える様な気持ちになります。ここには、学校という社会で、しなやかに生きるKくんのリアルな体験が書かれており、私に見せてくれていた顔とは違うKくんに出会う事ができます。これは多くの発達性ディスレクシアのこどもたちが、人知れず体験していることでもあり、Kくんが伝えてくれることで、気づくことができる人も多いでしょう。

すーふに通うディスレクシアの中高生たちが、この文章を読み、大絶賛し、Kくんの原稿が横書きだったので「縦書きにしてほしい」「フリガナを振って欲しい」など希望がだされました。発達性ディスレクシアと言っても、縦書きの方が読み難い、横書きの方が読み難い、両方変わらない、両方読み難いなど感じ方は様々です。症状の重症度や、タイプ、それまで経験してきた教育環境(責められ追い詰められ傷つけられてきたか、理解され支えられ嫌いにならずこれたかなど)によって、読み書きの状態に様々な違いが生じます。また、ASD,ADHD,発達性協調運動障害など、他にどんな特性を一緒に持っているかでも大きく変わります。なので、全員にとって読み易いものは存在しないのですが、意見を聞きながら、作成してみました。必要な会員さんには、ご希望に応じて小冊子を活用して頂けます。(沖村までご連絡を)

今回、敢えて文中の漢字選択の誤りや、少し不自然な表現など、訂正せずに原文のままにしています。Kくんが書いたオリジナルを大事にしたいのはもちろんですが、自分が書いたものを見直すという作業も、発達性ディスレクシアの子たちにとっては容易な作業ではありません。Kくんも、「もう見たくない」と言っていました。読み上げてもらって細かく修正しようと思うか、それすら楽な作業ではないので、適当なところで手をうちたいと思うかも、そのお子さんの特性によるところが大きいと思います。そういう事も併せて感じて欲しいと思っています。学校教育(その結果日本人の多く?)が重視する「正しい漢字であること」「美しい文章であること」が「思いを伝えること」にさほど重要ではないと、改めて感じて欲しいと思います。

守るべきは、知りたいという「思い」や、伝えたいという「思い」です。そして、情報を得たり、思いを伝えたりするための道具としての文字を、「見たくもないような嫌いなものにさせない」ことが、本当に大事なことだと、たくさんのお子さんと歩んできて改めて思います。 

2020年8月
ことばと読み書き すーふ
言語聴覚士 沖村可奈子